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農薬の深イイ話

2017.02.01

DDTの歴史

合成農薬のオリジンをどこにおくかは、判然としない面もあるが、1939年スイスの染料会社ガイギー研究所のミュラーがDDTの殺虫剤としての生物活性を発見したことにあるということには異論はないようだ。DDTの化合物自体は、その遥か前の1874年にオーストリアの化学者ツアイドラーによって合成されている。構造は極めてシンプルなものなので有機塩素系の化合物合成に取り組めば、いずれ合成されるものであったろう。大切なのはその効能・用途を発見したことにある。DDTは世界中でマラリアを媒介する蚊の駆除に使われ多くの人命を救った。ミュラーはその功績で1948年にノーベル生理医学賞を受賞している。化学賞でないところが面白い。
一昨年、北里大の大村智教授がイベルメクチンの発見でノーベル生理医学賞を受賞した。イベルメクチンは当初動物薬として開発したものでありその後、アフリカの風土病寄生虫感染症に卓効を示すことが分かり多く人命を救ったこととなにやら共通するところがある。
DDTが日本に登場するのは、農薬としてではなく防疫用の薬剤としてである。
終戦後、外地からの引き揚げ者は港で衣服や頭髪にDDTの粉をぶっかけられた。発疹チブスを媒介するシラミを駆除するためであった。また、高齢者なら誰でも知っていることであるが、大掃除のときに畳をあげて新聞紙を敷きDDTの粉を撒いた。こうすることによりノミが一掃された。床下の土面からノミが這い上がってくるのを防いだのである。最近の子供はノミを見たこともないだろうが、年寄はその痒さをしっかり覚えている。
日本で農薬用としてDDTが着目されるようになったのは、1947年である。GHQ天然資源局の昆虫技師R.ロバートはウンカ防除のための水田注油用の石油を日本側から要請されたが軍需物資でもあり大量の対応は不可能とし、その替わりとしてDDTを紹介した。ロバートは現地の水田に行き大勢の農家、指導者、関係者を集めガーゼに包んだDDTの粉剤を稲株ごとに器用にふりかけてみせた。これが日本での合成農薬の幕開けであり粉剤の始まりでもあった。
当時、農林省農産課の病害虫主任の上遠章はGHQの天然資源局と密接に交流し、その後のBHC,クロルデン、デイルドリンなどの有機塩素系合成農薬の導入の道筋を付けていった
時は下って1962年、米国のレーチェル・カーソン女史が「沈黙の春」を雑誌”ニューヨーカー“に連載した。レイチェル・カーソンは有機塩素系のDDTが自然生態系の食物連鎖の中でだんだんと生物濃縮を繰り返して、その頂点に位置する生物に大いに影響を与えることを、文学的に「春がきたのに鳥のさえずりも聞こえず沈黙だけが畑や林や沼地を支配していた」と表現し、その危険性について警鐘を鳴らした。「沈黙の春」ほど、世界の農薬行政にインパクトを与えた著書はない。急性毒性面では人畜無害と思われていた農薬が、環境面、慢性毒性面でクロズアップされたのである。
その後、日本でも同じ有機塩素系のBHCを厚生省が検査し牛乳から検出した。農水省の汚染経路の追跡調査でBHCの残留する稲わらを給餌している牛乳に汚染が著しいことがつきとめられ、1971年に塩素系農薬はすべて日本から姿を消していった。
DDTの使用が世界的に禁止されて以降、マラリアが再び猛威を振るいだす地域もあり、DDTの使用を限定的に解除すべきとの声もWHO(世界保健機構)にはあるようだ。文明国に住みマラリアに関係のない人たちとマラリアの危険性に常に危険にさらされる人たちでは、DDTの功罪は相反しており、農薬の是々非々の問題の根源は意外とそういう所にあるのではないだろうか。



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